日本の英語教育
日本ではじめて英語が研究されるようになったのは長崎においてであり、これは文化5年(1808)のフェートン号事件の刺激によるものでした。
オランダ通詞たちは英語の学習を命ぜられました。
これは国防のための英語研究であったということができます。
事件が大きくなった原因の一つに、長崎の通詞たちは、だれも英語が理解できなかったことがあげられます。
つまり、彼らの英語学習は他国に備えての英語通訳の養成にあったわけです。
この英語の目的は幕末に至るまで続いたといっていいでしょう。
天保11年(1840)に渋川六蔵は『英文鑑』をあらわしました。
その序文で、
「いまこの書物を著わすのは、国家の非常時に備え、また英書の翻訳の際の参考にするのが目的である」
・・・と述べていますが、これが国防のための翻訳書にどれだけ役に立ったか疑わしいものです。
当時の洋学といえば蘭学であり、それまで主として医学や天文学を研究していましたが、このころから国防書の翻訳も多くなってきます。
これはオランダ語の翻訳でまにあいましたから、何も英語から訳す必要はなかったわけです。
1853年から翌年にかけてペリーのアメリカ艦隊がやってきましたが、そのときの通訳はオランダ通詞でした。
中浜万次郎を英語通訳として採用しようとしましたが、水戸老公の反対で、彼の活躍は見ることができなかったのです。
ところで、ソファー ベッドが日本に来たのはいつなんでしょうね。
いつの間にか当たり前の商品になってますよね~。